昨日もリサイクルセンターに粗大ごみを運びました。
市立のリサイクルセンターは、街のはずれにあります。
ゴミ施設だから、市の端っこに立てたということで、農道を10分くらい走らせると着きます。
昨日捨てたものは、
- 壊れた石油ストーブ
- 使わないコタツ
- 壊れた風呂バンス
- 子供用いす
- 風呂の蓋
これらを車に積んで捨ててきました。

リサイクルセンターでは入口で、「家庭から出たごみですか?」「市内の方ですか?」と聞かれます。
住所・氏名・電話番号を書き、承諾がでるとやっとゴミ置き場に行くことができます。
ゴミ置き場では、誘導員の人がいて、ごみを目視でチェックします。
たとえば、今回は壊れた石油ストーブをもっていったので、「灯油は抜き取っていますか?」などと聞かれるのです。
黒い袋で中が見えないときには、中を確認するため開けられます。
そうしないと、例えば爆発するものが入っていたりすると大変なことになるからです。

「断捨離」という言葉が流行りだしたのは、いつ頃だったでしょう?
それまで私は、「未練箱」というものを作って、一年で一度も着ない服をそれに入れておくようにしていました。
そうすると、たまるんですよねぇ。
結局、着る服はいつも決まっていて、一度も袖を通さないのに保管されている洋服のなんと多いことかと気づきました。
また、もう少し痩せると着られるのにな…。
そんな洋服のなんと多いことか。
買う段階でも、痩せることを前提条件にして買うこともあり、自分ながらその計画性のなさに呆れます。

それにしても、豊かで贅沢な世の中になりました。
冬のコートなどは、一着を大切に大切に着たものでしたが、いまはありすぎて困るほど。
ジーパンは、硬くて厚みがあるので幅をとって困りますし、セーターもかさばるので保管するのに困ってしまいますが、私が子供のころは母はセーターをほどき、洗ってだまにして編みなおすという手間を惜しみませんでした。
水着も手作りしてもらった記憶があります。
小学生のときに、水色の靴を買ってもらったときの嬉しかったこと。
中学でも水色のアノラックを買ってもらいました。
帽子に毛がふわふわついていて、薄い色なので汚れが目立ってこまりましたが、水色はいまも大好きな色の一つです。

あのころ、断捨離なんて言葉もなかったし、お茶碗やお皿も多少かけても大切に使ったものでした。
ゴミは、野菜くずや残飯で、洋服を捨てるなんてことはめったにしなかったと思います。
昔は、捨てることに罪悪感がありました。
それがいまは、捨てると気持ちいい思考になってしまいました。
物をストックして自分の生活の邪魔になるのなら、処分してしまおうという思考です。
なんか間違っているような気もしますが、とはいえ、ストックしていても使わないのなら断捨離でしょうと開き直る私です。