本当に悲しいことだが、実母の認知症が進んでいる。
いまは施設にお願いしているので、細かい日常のことは分からないが、どうにも思いがけない行動をしているようで、施設の方には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいである。
母の部屋は、8畳ほどあり、ベッド、洗面台、押し入れがついている。
ここに先日までは、ポータブルのおまるが置いてあったのだが、先日行ったところ無くなっていた。
籐のイスも持ち込んでいたのだが、それに便を乗せ、その上に座布団をかけて隠していたのだと、施設の方から聞いた。
施設の職員さんはかなりの人数がいるのだが、それでも目が届かないときがある。
そんなときに、母がそのようなことをするらしい。
そこで施設のほうでは、部屋がよく見渡せるように極力、物を少なくしたらしいのだ。
おまるもおしっこをした後に、窓からそれを捨てたりするので、撤去したのだそうだ。
哀しいが現実である。
施設からの帰り道、姉とよく話しているのだが、母はいつから認知症になっていたのだろう。
発症に気づいたのは、父の葬儀の後だったが、よくよく考えてみるとおかしなことは、その前からあったのだった。
たとえば、母は父が退職して家にいるのをことさら嫌がり、父を疎んじた。
私はそれまで、父と母は仲の良い夫婦だと思っていたのだが、母の父に対する態度がひどいので驚いたのだった。
母は父と一緒にいたくないので、近所の友達の家に入り浸った。
朝から晩まで他人の家にいて、父を独りぼっちにしていたのだ。
あれは、認知症の始まりだったのではないだろうか。
また、兄嫁に関しても、態度がひどかった。
私はいま、67歳という年齢になって、わが子と結婚してくれるお嫁さん、お婿さんに感謝の気持ちしかわかない。
自分に何かできることがあったら、全力でしてあげたいと思っている。
母のように、嫁の悪口などとてもとても言う気にはならないのだ。
何か変だと思っていた。
私が子供の頃の母は、いつも笑っていて、太っているせいもあるが福々しい人だった。
それが、父の定年を境にして、とにかく怒りっぽくなっていたのは確かだった。
もし、あの頃が始まりだったなら、もう何十年にもなる母の認知症。
長生きしても、全然幸せじゃないね。
何か手立てはなかったのだろうか。
いまはただ、悲しい。
