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虚礼廃止が叫ばれて久しいのに年賀状が無くならないのは何故?

年賀状という文化は、なかなか無くならないですね。

虚礼廃止の掛け声と共に、年賀状は不要と言われたのはもう何十年も前のことになりますが、相変わらず、年賀状が販売され、来年の干支のことなどが話題になります。

みんな忙しいのに、年賀状が元旦に届くように、なんとか時間を作って書いているのでしょうね。

ただ、すべて印刷で、宛名と住所がなぐり書きみたいな年賀状を頂いても、正直あんまり嬉しくありません。

お歳暮やお中元は、お世話になった方への感謝の気持ちとして贈るものですから、それなりに意義があり虚礼とは言えませんが、年賀状は虚礼廃止にふさわしい文化ではないかと思うのですが。

実際、最近では友達同士では「年賀状の断捨離」と称して、年賀状を出さない風潮があるようですね。

我が家の年賀状は、本当に数えるくらいしか来ません。

夫は現職のときから、虚礼廃止を実行していたので、年賀状を書かなくなってもう何十年にもなります。

返事を出さないのに毎年、年賀状をくれる方もいますが、たぶん、アドレス帳を整理してないのでは?と言ってます。

夫は年賀状だけではなく、すべてに置いて虚礼廃止を実現した人でした。

上司にお歳暮を贈る必要もなく、年賀にいかなくてもよかったので、私は楽でしたけどね。

私はそこまで徹することができないので、何人かの人とはいまだに年賀状をやりとりしていますが、この先もたぶん、会うこともないだろう人と年賀状のやり取りは、もうやめようかな思い始めています。

年賀状の枚数で、自分がどんな風に思われているかと気になったのは、小学生の頃から。

友達は多いほうですか?

という質問がいまだに苦手です。

友達は多くなかったし、人付き合いは苦手でした。

友達は一人か二人いれば十分だったし、大勢で話すのは本当に苦手でした。

 

ですが、元旦に届く年賀状の少なさには子供心に耐えられなくて、たしか五年生だったと思いますが、自分の住所をクラスの人に配ったことがありました。

その結果、いつもの年よりたくさんの年賀状を貰いましたが、その後その子たちと仲良くなったわけでもなく、ただの年賀状の交換でしかありませんでした。

年賀状の季節になると、そのことをいつも思い出します。

 

年賀状はメールより風情があっていいと思う方も多いから、いまだに続いているのでしょうね。

ただ、私の住む北国では、正月は大抵、雪だったり寒かったりするので、配達員の方の苦労を思います。

雪道を自転車やバイクで配達するのは、本当に大変なんです。

雪道は滑りやすいので、転倒する危険性が多く、孫のような年代の若い人たちが苦労して配達しているのを見るのも、辛いものがありますね。

 

とはいえ、あと一か月で今年も終わり、新しい年がやってきます。

今年は、お正月に義母が亡くなったことに始まり、私の入院、手術、三人目の孫も生まれたし、その他もろもろ激変の年でした。

来年は、夫と息子が年男になります。

年賀状の断捨離のニュースをみて、思いついたことをつらつら書き連ねました。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。