兼高かおるの父親の職業は?学歴と経歴・著書や病気と交際相手とは?

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兼高かおる世界の旅」は兼高さんが31歳の時に始まり、62歳まで続いた長寿番組です。

ケネディ大統領や画家のダリも登場したり、各国のセレブとフレンドリーに交流できる兼高さんに憧れた方もたくさんいらしたのではないでしょうか。

ゆっくり上品に話す姿が印象的でしたね。

兼高さんはいったい、どんなご家庭に生まれそだったのでしょう。

今回は、

兼高かおるの父親の職業は?学歴と経歴・著書や病気と交際相手とは?と題しまして、兼高かおるの父親の職業について、兼高さんの学歴と経歴・著書や病気と交際相手とは、などについてフォーカスしてみました。

みなさんの参考にして頂けると嬉しいです!

ということで、早速記事に移っていきましょう!

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兼高かおるの父親の職業は?

まずは、兼高かおるさんのプロフィールについて調査しました。

本名     兼高ローズ(かねたか・ローズ)

生年月日   1928年2月29日

年齢     1919年1月5日(90歳没)

出身地    兵庫県神戸市

女学校     香蘭女学校卒業(1946年)

大学     ロサンゼルス市立大学留学(1954年)

職業     ジャーナリスト・レポーター・ナレーター・プロデューサー・ディレクター

テレビ番組  「兼高かおる世界の旅」(1959年 ~ 1990年)

「兼高かおる世界の旅」は、日本人の海外旅行が自由化される前の1959年にスタート。

やっとテレビが家庭に普及し始めたころでした。

兼高さんが、さわやかに海外の風景、文化、暮らしを紹介する。

この番組は、まるで別世界でした。

兼高さんの涼やかな声と綺麗な顔立ちとユーモアセンスあふれるお喋り。

確か、日曜日の午前中の放送ではなかったでしょうか?

 

兼高さんの父親はインド人で、母親が日本人。

ハーフの方だったのは知りませんでした。

でも、言われてみれば、兼高さんの堀の深い顔立ちは、インド人の女性を彷彿とさせるものがあります。

 

父親の職業は詳しい情報はありませんでしたが、貿易商ということです。

兼高さんの優雅なたたずまいから察するに、相当のセレブだったのではと推察できます。

兼高さん自身が語った女学生時代の思い出話が雑誌に掲載されていました。

 

わたくしが通っていたのは東京のキリスト教系のお嬢様学校で、体育で走ったりするときには“ごめんあそばせ”と言って追い越すよう指導されるような学校でした。そんな学校でラグビーのまねや木登りなんかしましたから、先生からは怒られましたね。母といえば、そんなわたくしを叱ろうともせず“ケガしないように下りてらっしゃい”とだけ言うような女性でした

引用元:週刊女性プライム

兼高さん曰く「大正モダンを絵に描いたような自由人」という母親のもとで、のびのび育った少女時代でしたが、時代は1941年。

日本が太平洋戦争に突入した、そんな時代だったのです。

 

学歴と経歴・著書や病気と交際相手とは?

兼高かおるさんは、独身を貫きましたが、お付き合いしていた方もいました。

生涯にたった一度だけ、結婚したいと願った方。

 

その方は中国の方でした。

銀座を歩いていたら声を掛けられ、ほどなく手紙を交わす仲となったそうです。

英語もでき、日本語もできたその人の手紙には、流暢な日本語がしたためられていたそうです。

帝国ホテルのラウンジや、横浜の中華街でデートを重ねた後、プロポーズされました。

 

母親に、あの方と結婚してもいいですか?”と尋ねたところ、

「いけせん!」

と即座に言われ、兼高さんの恋はここで終わりを告げたのだそうです。

幻のような思い出。

 

世界中を飛び回って、世界のVIPや麗人とも渡り合ってきた兼高かおるさん。

各国のセレブに好意を寄せられ、石油の採掘権や、無人島をプレゼントされたなど、驚きの逸話に事欠きません。

「何故、結婚されないのですか?」

などと失礼な質問を受けても、

「そういう運命を神様は与えなかった」

とユーモアたっぷりに答え、質問者をけむに巻く兼高さん。

 

でも、兼高さんのおかげで、世界は素敵なことに溢れている!と、みんなが気づかされたのですよね。

 

女学校時代の先輩・後輩の間柄である黒柳徹子さんと対談したときも、「何故、結婚しなかったのか?」なんて話題が飛び交ったのでしょうか?

 

兼高かおるさんは、庶民にとっては海外旅行が高嶺の花だった時代に、タフに軽やかに世界を飛び回りました。

一年の半分以上を海外で過ごし、移動した距離はなんと、地球180周分ということです!

「崖から落ちるのも大切な経験」の精神で、挫折も軽やかに乗り越えた兼高さん。

 

そして、

「世界とびある記」

「わたくしたちの旅のかたち」

「わたくしが旅が学んだこと」

等々、世界をめぐりながら、見たこと感じたことを、本にしてくれています。

 

兼高さんは、ロサンゼルス市立大学に留学しているのですが、寝る間もないくらい辞書をひき、猛勉強をしたそうです。

そんな無理がたたったのか、体重は42キロまで激減しました。

雑誌の住んたビューでも、

それで検診に行ったら、わたくしに結核があることがバレてしまって。急いで帰らないと結核患者ばかりの施設に連れて行かれてしまう。そうなったら大変と、その日のうちに日本に帰ってきてしまった

引用元:週刊女性プライム

このように、告白しています。

 

結核が国民病と言われていた時代、兼高さんも結核を患っていた時期があったのです。

日本に帰り、この病気の特効薬・ストレプトマイシンを取り寄せて治療に励んだということです。

兼高さんの精力的に世界を飛び回る姿に、なんてエネルギッシュな方なの、と驚嘆していましたが、結核という病気を克服していた過去があったとは驚きでした。

それと、兼高さんはお肉が好きだという「肉食系」だとか。

しかも、びっくりするくらい食べるのだそうです。

肉を食べている方はパワーがあるといいますから、肉食もパワーの源なのかもしれません。

 

最後に当時の貴重な映像をどうぞ!

 

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まとめ

今回は、

兼高かおるの父親の職業は?学歴と経歴・著書や病気と交際相手とは?と題しまして、兼高かおるの父親の職業について、兼高さんの学歴と経歴・著書や病気と交際相手とは、などについてフォーカスしてみました。

それでは今回は、ここまでとさせていただきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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