喜多條忠の実家は昆布屋で弟が社長?妻や息子と娘、学歴・経歴も!




作詞家の喜多條忠(きたじょう・まこと)さんが肺がんのため11月22日に、死去されました。

喪主は妻の輝美さんで、葬儀は近親者で営んだそうです。

1973年、120万枚以上の大ヒットを記録した「神田川」。

その他にもキャンディーズ「やさしい悪魔」や梓みちよ「メランコリー」など、数々の名曲を作詞されました。

現在は、日本作詞家協会の会長を務めておられました。

そんな喜多條さんの実家は、創業70年の昆布問屋だということです。

 

ということで、今回は、

喜多條忠の実家は昆布屋で弟が社長?妻や息子と娘、学歴・経歴も!

と題しまして、喜多條さんの実家や弟さん、妻・息子と娘、学歴や経歴についても調査してみました。

 

みなさんの参考にして頂けると嬉しいです!

それでは、さっそく本題に入っていきましょう!

 

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喜多條忠の実家は昆布屋で弟が社長?

まずは、喜多條忠さんのプロフィールをまとめてみました。

本名:喜多條忠

生年月日: 1947年10月24日

年齢: 享年74歳

出身地:大阪府

最終学歴:早稲田大学中退

 

喜多條さんの実家は、大阪市北区天神橋に本社のある昆布問屋「大阪昆布海産」で、弟さんの清光さんが社長をされています。

清光さんは、兄の喜多條忠さんに「俺は筆で生きていく。お前は昆布で生きていけ」と言われ、家業を継ぐことを決意したのだそうです。

 

そんなお兄さんの期待に応えるべく、清光さんは四六時中昆布のことだけを考えている、とのこと。

今でも毎日、深夜2時起きで、昆布水のレシピを5時まで研究し、その後SNSなどで昆布水の魅力を世界に発信しているそうです。

 

清光さんは著書もたくさん出されています。

また、インターネットで昆布の魅力を発信するだけでなく、「昆布おじさん」として各地で講演もされているのです。

 

弟さんの活躍に、お兄さんの喜多條さんも目を細められていたことと思います。

 

喜多條忠の妻や息子と娘、学歴・経歴も!

喜多條忠の妻や息子・娘は?

喜多條さんの奥様は、喪主を務めた輝美さん。

そして、息子さんがおられるようです。

息子さんは現在、デザイナーをしている?という情報もみましたが、定かではありません。

 

娘さんもいらっしゃるようですね。

喜多條さんは作詞家になる前は放送作家でしたが、社内では筆が遅いことで有名だったと述懐されています。

娘さんの何気ない一言が、行き詰まっていた状況を打破されたのでしょうね。

名曲「神田川」も、自分の体験を元に書かれたそうです。

 

喜多條忠の学歴と経歴は?

喜多條さんの学歴は下記のとおりです。

  • 大阪市立菅南中学校(現在の大阪市立天満中学校)
  • 大阪府立春日丘高等学校卒
  • 早稲田大学中退

早稲田大学では、学費滞納で大学を除籍となったのだそうです。

 

大学中退の頃から文化放送の番組の台本を書いていました。

作詞やコラム、小説などの執筆活動もされています。

「女房逃ゲレバ猫マデモ」は、喜多條さんの私生活も垣間見られるそうです。

 

「神田川」は、歌だけでなく著書にもされていたのですね。

その他の著作には、

  • 『この街で君と出会い』
  • 『会うたびに忘れないでといってた君がサヨナラといった』
  • 『ホーキを忘れた魔女達』

などあります。

 

最後に

今回は、

喜多條忠の実家は昆布屋で弟が社長?妻や息子と娘、学歴・経歴も!

と題しまして、喜多條さんの実家や弟さん、妻・息子と娘、学歴や経歴についても調査してみましたが、いかがでしたでしょうか?

 

喜多條さんのご冥福を心からお祈りいたします。

 

それでは今回は、これまでとさせていただきます。

最後までこの記事を読んでいただき、ありがとうございました。