1970年代、2枚目半の役で鳴らしたのが石立鉄男(いしだて・てつお)さん。
アフロヘアーに甲高い声、高速なせりふ回しが特徴的で、特異なキャラクターの人物でした。
ドッグブリーダーとしても有名であり、将棋に関してはアマチュア四段の腕前を持ってたという石立さん。
2007年、亡くなる前に出演したラジオで、「全盛期には5億から10億稼いだのに、全部ばくちで使い切った」と豪快なエピソードを明かしていたといいます。
その反面、女優さんを輝かせるのが上手で、いまも石立さんを慕っている女優さんがたくさんいます。
今回は、
石立鉄男の性格と伝説とは?女優を輝かせるのが上手?晩年と死因もと題しまして、石立鉄男の性格と伝えられる伝説について、石立鉄男は女優を輝かせるのが上手だった?晩年と死因もについて、まとめています。
みなさんの参考にして頂けると嬉しいです!
ということで、早速記事に移っていきましょう!
石立鉄男の性格と伝説とは?女優を輝かせるのが上手?
お疲れ様です。良い夜を。
#ラーメンの日 #石立鉄男 #ワカメラーメン #エースコック pic.twitter.com/l8Pajac7I8— 里芋☆もろこし村 (@satoimo23) July 11, 2019
石立さんの性格について色々調べていると、実に豪快で自由奔放なイメージがついて回ります。
しかし、親しくしていた人たちに見せる顔は違っていました。
仕事で何度も共演したことのある女優の富士真奈美さんは、石立さんを鉄ちゃんと呼ぶほどの仲良しでした。
富士さんが語るには、石立さんは、気が小さくてシャイな人だったと言います。
本当は、もっとシリアスな役もしてみたいけど、コメディを求められる。
石立さんは、コメディの役が染みついた役柄から脱皮したかったのかもしれません。
晩年、バラエティ出演には声がかかっても、石立さんは消極的だったそうです。
ただ、杉田かおるさんが30代で仕事がなく苦境に立っているときに、「杉田かおると一緒なら出てもいい」と出演OKしたことがありました。
その番組というのが、「踊る!さんま御殿!!」
そのおかげで、杉田さんはバラエティに活路を見出すことができたのだそうです。
演技には厳しいけれど、一度関係を築いたら、最後まで面倒をみてくれる情の厚い人。
杉田さんは自分の今があるのは、石立さんのおかげと感謝しているそうです。
賭け事が好きだった石立さんは、勝つときも凄いけど負けるときも凄い。
主演を張っていたときには、いつもピリピリして仲間ともよく喧嘩になったそうです。
ひょうきんな姿を見せながら、実は人知れずプレッシャーを抱えていた石立さんは、眠れず睡眠薬を常用。
そんなこんなで、撮影所に入るのはいつも遅刻していました。
そんな度重なる石立さんの遅刻に、業を煮やした俳優の藤達也さんがそれに激怒して、撮影所で殴り合いになったという逸話もありました。
石立さんは、芸能界では指折りの腕っ節の強さで恐れられていた最強伝説の持ち主でもありました。
石立鉄男の晩年と死因も
私生活では、1968年に吉村実子さんと結婚し、二児に恵まれます。
しかし、石立さんはほとんど家に帰らず、1998年に離婚しています。
1980年後半になると、ホームドラマが徐々に衰退し、徐々に石立さんの出番も失われてきました。
それまで、奔放に、遅刻を繰り返していたことも仇になったのかもしれません。
離婚の翌年には、静岡県の熱海に移住し、芸能界と距離を置きました。
2007年、熱海の自宅で就寝中、急性動脈瘤破裂で急逝されました。
石立さんは、まだ64歳の若さで、ひっそりとこの世を去りました。
ご冥福をお祈りいたします。
最後に石立さんの出演したCMの動画を紹介して、ありし日の石立さんを偲びたいと思います。
まとめ
今回は、
石立鉄男の性格と伝説とは?女優を輝かせるのが上手?晩年と死因もと題しまして、石立鉄男の性格と伝えられる伝説について、石立鉄男は女優を輝かせるのが上手だった?晩年と死因もについて、まとめました。
最期まで不器用な生き方しかできなかった石立鉄男さん。
共演した女優さんたちは、石立さんは女優を輝かせるのが上手かった、と口を揃えます。
石立さんは、芸能界の恩人です、と語る杉田かおるさんや、榊原るみさん、妹のようにかわいがってもらったという山口いずみさん。
多くの方に惜しまれて亡くなられた石立鉄男さん。
彼の活躍は永久に語り継がれることでしょう。
それでは今回は、ここまでとさせていただきます。
最期まで読んでいただきまして、ありがとうございました。